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正しくも保守的な態度

掲載日:2013年07月03日投稿者:fumi imamura

エンジニアが作るネットサービスのアイデアがしょぼいワケ【連載:えふしん】
http://engineer.typemag.jp/article/fshin16

引用:

壮大なアイデアを思い付く横で、それが実現できないと思ってしまう自分がその段階で心にブレーキを掛ける。

結果、その繰り返しになってしまって、大きなアイデアが見つからない。

それは往々にして正しいのかもしれない。正しいのかもしれないが、本当に新しいものを作る時は、それだけではダメな時の方が多い。

状況やレベルは大きく違うのだろうが、これは非常によくわかる感覚。

自分の技術力に対して壮大にみえるはアイデアは、実際に取り掛かる前の段階では、絶対にできないと拒否反応を示す。理屈ではなく体ができないと拒否する。

逆に、何かが実現できる人や組織は、実現可能性もよくわからないまま飛び込んで、何とか完成させた後で、その拒否した体のほうが間違っていたことを改めて実感する。この繰り返し。

体が拒否しているのは、実現可能性に関する見通しに基づいてるのではなく、専門家としての経験に基づく、苦しさに関する見通しだと思う。人間というのは元来快を求め、苦を避ける怠け者にできているので(それ自体が悪いわけではない)。

このとき、「正しくも保守的な」態度は救いになる。しかし、それは技術や、組織、ひいては社会を停滞させる。「逆に苦しいかもしれない上に、結果的に実現できないかもしれない」、ものチャレンジできる余地を、人も組織も社会も残しておかなくてはならないと思う。

専門家との関連でいうと、誰もやったことのない案件、見通しの暗い案件、苦しい案件を引き受けるかどうか、という点と関連する。失敗した時に、チャレンジしたこと自体を非難しないというあり方も重要である。

カテゴリ:研究メモ